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「おんな城主 直虎」(76)第20回「第三の女」(小説版) <2017年NHK大河ドラマ>

2017/05/26



今まで当blog記事では、

  • 雑多な記事
  • あらすじ+放送台本

という構成で進めて来ましたが、ノベライズされた「おんな城主 直虎」を併せて読むと、放送を見た時、或いは見た後の興趣が何倍(大袈裟かな…何割増し)になるのですよ。

 

この感覚を、当blogを訪れて下さる方々にお知らせしなければいけない! と思い、記事としてUpすることにしました。

 

小説版で漢数字で書かれている部分でも、blogでは横書きの為アラビア数字が適切と思われる部分は変更を加えています。

 

この記事の下部に、他の放送回と登場人物紹介及び人物相関図とへのリンクを貼り付けてありますので、併せてご利用頂ければ幸いです。この行の青字部からでもその最下部へ飛んで行けます。

これは20分程度で読める記事です。

 

1.第20回「第三の女」小説版おんな城主 直虎から転記

 

南渓の立ち会いの下、龍潭寺の一室で、直虎は祐椿尼と共にその娘と対面した。

これが、直親の……。

年の頃は10代半ばというところか。その貧しい身なりから百姓の出と知れる。顔だちはかわいらしいが、直親の面影があるかといえば、あるようなないような……。

直親が隠し子をもうけていたなど、信じたくもない。しかし当主としては放っておけない。その葛藤の合間に直親との思い出がよぎったりして、口を真一文字に引き結んでいるが、胸中は荒波に翻弄される小舟のようである。

ねめつけるような視線を浴びせかけ、娘がおびえていることに気付きもしない。

「高瀬(たかせ)というのですか」

見かねた祐椿尼が、口火を切った。

「へ、へぇ!」

「母御(ははご)の亡くなる間際に、父は井伊の亀之丞という男と聞いたそうでな……。身寄りもなくなったので、その話を頼りに出てきた……のじゃったな」

南渓が高瀬に確認する。

「へ、へぇ。おっかあの名はユキと……」

「はっ」

突如、直虎が声にならない奇声を発した。3人が驚いて見ると、両手で頭を抱え込んでいる。

名前など聞かされたものだから、相手の女が実体を持って生々しく脳裏に浮かんできたのだ。

挙動不審な直虎をいぶかしみつつ、高瀬は続けた。

「ユキと申しやして……」

「あいにく、亀之丞はもう亡くなっておるのですよ」

「和尚様よりさっき……。あの、娘がおるなどという話を聞いたことは?」

直虎がはじかれたように顔を上げ、祐椿尼と南渓をまなじりを決して見つめる。

「……私はないですが」

「わしもなくての」

直虎の体から、あからさまに力が抜けた。

「……そうですか。では、おらぁの聞き間違(まちげ)ぇだったのかもしんねぇない」

ほっとした反面、しゅんとしている娘が少しかわいそうにもなってくる。

南渓と祐椿尼は、どうしたものかと顔を見合わせた。

「ありがとうございました。これにてお暇(いとま)いたしやす」

高瀬は納得したように両手をついた。

「なれど、そなた、行く当てなどあるのか?」

祐椿尼も母親、まだ年端も行かない娘が不憫(ふびん)になったらしい。

「たかが身一つ、いかようにもなります」

けなげにも明るく答える姿に、直虎の胸がちくちくと痛む。

「なれど、もう母御もおらぬのでしょう?」

「親のおらん者(もん)など、いくらでもおるしない」

直虎は迷ったあげく、ええいままよと言い放った。

「しばし、井伊の屋敷におってはどうじゃ」

南渓と祐椿尼は、まさか直虎の口からそんな言葉が飛び出すとは思わない。

「まこと、亀……直親の娘ならば、井伊としては捨て置くわけにもいきますまいし」

直虎はそわそわと言い訳し、高瀬に説明した。

「あ、そなたの父かもしれぬ亀之丞というは、直親という名で、井伊の当主であった者でな」

「とっ、ご当主……」

高瀬の驚きようといったら、目玉が飛び出さんばかりである。

「そなたの母の言うことがまことならば、そなたは井伊の姫ということになる」

「……ひ、姫、様……」

ほとんど放心状態の高瀬を見て、祐椿尼がこっそり南渓に耳打ちする。

「騙りではないようですね」

「……」

確かに、南渓の目にも嘘をついているようには見えないが、断言するのもためらわれた。

「あ、あの……あなた様は、亀之丞様の、ご親戚か何か……」

妙ちきりんな外見だが、口ぶりは主のようなこの女子は何者だろうかと、高瀬は不思議だったに違いない。

「われ? われは今の井伊の当主・井伊直虎じゃ」

「女子の、ご当主様でごぜぇますか!?」

「とにかく、そなたがまことに直親殿の娘かどうか、こちらでも調べてみるゆえ。明らかになるまでは、ここにおるがよい」

少し冷静さを取り戻し、直虎は当主らしく告げた。

 

 

とりあえず祐椿尼が高瀬を井伊の館に連れ帰り、たけが空いている部屋に案内していった。

「どう見ても百姓娘ですが……。まことなのですか? 直親様のお子というのは」

戻ってきたたけが、眉をひそめて祐椿尼に報告する。落ち着きなく部屋の中をきょろきょろする様子を見れば、どんな生まれ育ちか推して知るべしだ。

「あの、もしまことなら、その、姫様と夫婦約束しておられたときのお子ということになりますよね……」

直虎の気持ちをおもんばかって口には出さなかったが、祐椿尼も少々裏切られたような思いである。

「……まぁ、思うところはあるでしょうが、私事(わたくしごと)は別にし、井伊の主として正しくふるまうつもりなのではないですかねぇ」

 

寺に残った直虎は、手始めに昊天と傑山を呼び、直親からユキなる女子のことを聞いたことがあるかどうか尋ねてみた。が、2人ともかぶりを振り、女子の話など聞いたこともないという。

「和尚楼、直親を預かっていた松岡(まつおか)様から何か……今、思い起こせばそういうことだったと思い当たるようなことは?」

南渓は記憶をたどるように遠くを見つめ、やはり首を横に振った。

「あの、ひょっとしたら、直親様もご存じなかったのではございませぬか?」

「さよう。松岡様があわれに思われて、たまたま誰かをあてがわれただけのことかもしれませぬしな」

直虎を慰めようというのか、昊天と傑山が口々にそんなことを言う。

「……私は成り行きを気にしているわけではないのです。井伊の当主として、まことに直親の子なのかどうか明らかにしたいだけで」

腹立たしいことに、南渓までが慈悲深いほほえみを浮かべ、分かっているから無理をするな……という憐憫(れんびん)のまなざしを送ってくる。

「とにかく私は気にしておりませぬゆえ! 和尚様、松岡様に真偽のほどを伺ってみてください!」

直虎は語気荒く言いおいて帰っていった。

 

 

館に戻ると、しのに高瀬のことを伝えるかどうか相談するため、祐椿尼が部屋にやって来た。

「どうしますか? 成り行きを知らせておきますか」

「娘かどうかはっきりしてからでよいのではないですか。余計な気をもませるのもよくないでしょうし」

そう話がまとまった直後、廊下からたけの声が聞こえてきた。

「あれ! しの様! まだ娘と決まったわけではございませぬゆえ!」

廊下をのぞくと、どこから聞きつけたものか、しのがものすごい形相でこちらに向かってくる。

「娘はどこじゃ」

「そのうち直虎様から改めてお話が!」

「娘を出しなさい!」

大声が響きわたり、高瀬がおずおずと部屋から顔を出した。

「あのぉ、おらのことでごぜぇますか?」

「そなた……」

しののこと、激高して罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせるか、最悪の場合、高瀬につかみかからないとも限らない。ここは当主たる自分が穏便に収めねばと、直虎は二人の間に進み出た。

「しの殿、少しこちらで……」

「そなた、名はなんという?」

しのは直虎を無視して高瀬に訊いた。存外、冷静である。

「高瀬と申します」

「高瀬、こちらはそなたの父かもしれぬ人の妻のしの殿じゃ」

安堵しつつ、直虎はしのを紹介した。

「奧方樣……」

「そなたが直親様の娘なら、私の子とはきょうだいになります。そうなれば、新野の屋敷のほうにも顔を出すとよい」

あにはからんや、しのは寛容に高瀬を受け入れた。

驚きながらも、直虎は今後のことを話そうと、しのを自室に誘った。

聞けば、夕餉の席で虎松が突然、「私には姉上がいるのですか?」と訊いてきたという。昼間、 寺で直虎たちが高瀬と対面したのを、亥之助らとのぞき見していたらしい。

「今、身元を確かめておるゆえ、お待ちくだされ。あの、まこと直親殿の子であれば、お腹立ちのことと思うが、どうか……」

「……くっ」

しのは唇をかみ、ポロポロ涙をこぼし始めた。

「しの殿……」

やはり……正室として取り乱すまいと、精いっばい平静を装っていたのであろう。

「おいたわしや、直虎様」

しかししのは、なぜか直虎をあわれんでいる。

「私とは結ばれるずっと前のことなれど、直虎様にすれば……。直虎様はご出家までされたのに、 その間に直親様は、どこぞの女子とよろしゅうなされておったということにございましょう?」

改めてそう言われると、胸の中がもやもやする。

「直虎様が厳しいご修行中に、どこぞの女子の前でも笛を吹き、甘ったるいお言葉をかけられ、子までなし……」

言いながら無性に笑いが込み上げたようで、しのは泣きながらプッと噴き出した。

直虎のほうは、逆にじわじわと怒りが込み上げてきて、渋面が朱に染まっていく。

「われはさようなこと、みじんも気にしておらぬ。あの子がまことの娘ならば、虎松も姉上ができよう。娘が増えれば調略もできよう! 直親は井伊に宝をよこしてくれたとさえ思うておる!」

「なんとご立派な。しのには、とてもまねできませぬ」

肩肘を張る直虎がますますおもしろく、しのは悲しくて泣いているのか、おかしくて涙が出るのか、自分でも分からなくなってきた。

「われは当主なのじゃから当たり前じゃ!」

「これはどうも、ご無礼をいたしました」

しのは慇懃に一礼して退出したが、直虎は頭の中が煮え立った湯のようになって、なかなか平静に戻れないのであった。

 

 

その夜、政次は、高瀬の存在をなつによって知らされた。

「直親の娘と名乗る者が来た?」

「はい。亥之助の話なので、いまひとつ要領を得ぬのですが」

「そうか、さような者が……」

めったに表情を崩さない政次が、珍しく動揺している。

「……そうか」

その脳裏には、しおれている直虎の顔が浮かんでいた。

翌日、主殿で評定が開かれ、直之から盗伐事件の報告が上がった。

「村々に確かめてみたところ、ほかに賊に襲われたようなところはございませぬ。何か異変があればすぐに知らせよと伝えました」

捕らえた男が牢から脱走したことは、政次が近藤に伝えてとりなしてくれたが、盗伐団の行方は杳(よう)として知れず、未解決のままだ。

「うむ、結構。ほかに何か詮議したいことはあるか」

あ、と六左衛門が声を上げたが、言いだせずに、拝むような目で直之を見る。下駄を預けられた格好の直之は、居ずまいを正して切り出した。

「あの、直親様の娘かもしれぬというお方のことですが。もし、まことに娘ならば……その、それがしらは、家内に加えられるのがよかろうと」

前もって話し合っていたのだろう、「の」と六左衛門に同意を求める。

これを受けて六左衛門がこころもち膝を進めた。

「井伊には人がおりませぬし、虎松様にもきょうだいができますし、お身内となれば、縁組みなどもできますし。直虎様にはおつらいところもあるかとは思うのですが」

その説得口調、あたかも直虎が直親のことにこだわり、悋気(りんき)から高瀬を排除しようとしているかのようある。

「そなたらに言われずとも分かっておる! もとよりそのつもりじゃ!」

そこへ、政次が「恐れながら」と割って入ってきた。

「その者、武田の里より参ったとのこと。武田の間者ということはございませぬか?」

「間者!?」

「あのような子どもが、でございますか?」

直之と六左衛門が次々に異存の声を上げる。

「先ほどお見かけいたしましたが、あのくらいになれば十分に働きもできることかと」

花を生け替えようとしていた祐椿尼とたけに、何か自分に手伝えることはないかと尋ねているところだった。見かけは垢抜(あかぬ)けないが、そこそこ気の回る娘らしい。

「あのような子どもが間者のわけがあるまい! そなた、井伊の親戚が増えるのがおもしろくないだけであろう!」

直之は鼻息荒く一蹴した。政次を悪者にするのも忘れない。

「さすがに考え過ぎではないか」

直虎も言った。高瀬はまだあどけなさの残る、何も知らない百姓の娘である。

しかし政次は、やれやれというように小さく首を振った。

「皆様のお耳にもさすがに入る頃かと存じますが、今川と武田に争う兆しがございます。武田よりの間者が井伊に入っても、なんら不思議はございませぬ。何とぞ、よくお考えのほどを」

そうであった……さすが政次は抜かりがない。引き換え、己のなんとぼんやりなことか。

評定が終わり、反省しつつ庭に面した縁に出ると、祐椿尼の声がした。

「まあ、よくかような花を」

見ると、美しい花を手に持ってうれしそうにしている。

「祐椿様が花がお好きだと申し上げましたら、高瀬殿が崖をよじ登られまして。もうこちらは気が気でなく」

最初は疎ましそうにしていたのに、たけは花一本で心を許してしまったようだ。

「おらぁ身が軽いのが取り柄だもんで」

身が軽い……間者と言われてみれば、高瀬が怪しくも見えてくるのであった。

 

 

そのころ、政次も知らないところで、氏真が動いていた。

「今川はなんと?」

書状を読んでいる家康に、酒井忠次(さかいただつぐ)が待ちきれず訊いた。

桶狭間での今川敗戦の混乱に乗じて、この岡崎城に帰還を果たしてから早(はや)5年。以来、今川と袂(たもと)を分かって三河統一を進めてきたが、そこへ氏真から書状が届いたのだ。

「いまだもめておる引馬(ひくま)の飯尾(いのお)の件、今川は飯尾を許してもよいと言うておる」

桶狭間の戦いのあと、引馬城主・飯尾連龍(いのおつらたつ)は今川に反旗を翻し、氏真と争っていた。

「武田との雲行きが怪しくなってきたので、こちらと手を結びたいという腹にございますか」

忠次が家康の右腕なら、この石川数正(いしかわかずまさ)は左腕。忠次が猛将なら、数正は知将である。

「……今川も苦しいところであろうしな」

家康のつぶやきを、忠次が聞きとがめた。

「もしや、世話にもなったゆえ、などとお考えなのではございますまいな!」

図星を指されて、家康がぎくりとする。

「今川は松平を踏みにじった敵にございますぞ! 殿は人質に取られておったのをお忘れか!」

「忘れてはおらぬが……」

今川義元からの偏諱(へんき)である「元」の字を捨てることで今川とは完全に決別した形になったが、人質としてひどく冷遇されたわけでもなく、家康の心境は複雑だ。

「しかし、殿。殿があわれとお思いになろうとも、今のわれらには今川に手を差し伸べることなどできますまい……」

家康と、忠次までもが黙り込んだ。三河では家中が二つに割れる一向一揆が勃発し、前年にようやくこれを鎮圧したばかりだ。向後は、東三河や奥三河を平定していかねばならない。

「……常慶、おるか?」

家康が声をかけると、どこに潜んでいたのか、「は」と山伏が庭先に現れた。

「引馬に戻り、成り行きを見届け、知らせてくれ」

 

 

「武田からの間者のぅ」

直虎から話を聞いた南渓は、難しい顔で顎の不精ひげをなでている。

「果たしてさようなことまで考えねばならぬのか、常慶に会い、武田の腹の内を知りたいところな腹なのですが」

「常慶からはまだじゃが、松岡様からは来たぞ」

「えっ」

直虎は渡された書状をせっかちに開き、急いで文面に目を走らせた。

「確かにユキという女はおったようじゃ。2人でおったところを見かけた者もあるらしい。じゃが、子をもうけたかどうかまでは分からぬ、と」

「……ほかに聞ける者はおりませんでしょうか」

がっかりしていると、南渓が妙なことを言いだした。

「わしは誰の子じゃと思う?」

「おおじじ様の子にございましょう」

「表向きはそうなっておるがの……わしは母の不義の子じゃ」

いきなり重大な秘密を打ち明けられて、直虎は息が止まるかと思った。

「おおじじ様は、最後までご存じなかったがの。あまりにも申し訳ないゆえ、まかり間違っても井伊を継ぐようなことにだけはなってはならぬ、と母がの、さまざま理由をつけ、寺に放り込んでしもうたのじゃ」

「お、お戯れを」ようやく言葉を押し出す。

無言のまま直虎を見つめていた南渓が、やがてふっと表情を崩した。

「ありゃあ、信じんかったか」

そう言って、いっもの飄々とした笑い声を立てる。まったく人が悪い。

「じゃが、子の父親など、さように曖昧なものでの。どこまで事情を確かめたところで、間違いなく娘であるかどうかなど分からんのではないかのぅ」

南渓はそれが言いたかったがために、こんなまことしやかな作り話を……。

「……では、やはり、追い返したほうが無難にございますか?」

「まあ、そのあたりのことは、ご家老と腹を割って相談するのがよいのではないかの」

 

 

南渓の助言に従い、館に戻った直虎は、政次のいる執務部屋に向かった。

「但馬」

その様子から大事な用件と悟ったのだろう、政次は書類仕事をしていた手を止め、直虎のほうへ向き直った。

「反間(はんかん)にすることも考えたうえで受け入れるということはありうるか? なんだか追い返すのも忍びなくてな」

「……なきにしもあらずでしょうが、そこまでして受け入れる必要もないかと存じます」

「しかし、まことの娘であれば、井伊のためにはよいに決まっておるし」

「間者の疑いがある者を追い出すのも井伊のためかと」

「しかし、どちらとも言えぬのであれば受け入れても……」

「追い出したとて、格好はつくと言うておるのだ!」

直虎のばかさかげんに腹が立って、つい本音が出た。

「……格好?」

「そなたが気にしておるのは当主としての体裁であろう。ならば、追い出したとてそれはそれとして格好はつく局面だと言うておるのだ」

女子の悋気などという狭い了見で追い出すのではない。何よりもこれ以上、お前が傷つくことはない……政次の真意に、直虎は初めて気付いた。

「それだけのために間者じゃなんじゃと言いだしたのか」

「誤解なさるな。まことの間者であることも十分にありえまする。あくまでそのうえでの話です」

「政次、気持ちはうれしいが。われは」

そのときだ。廊下から高瀬の鼻歌が聞こえてきて、直虎と政次はハッとなった。

「これは……」

間違いない。この歌は子どもの頃、とわと鶴丸の争いを止めるために、亀之丞が笛で吹いてくれた曲だ。

直虎は部屋を飛び出し、政次もあとに続いた。

「その歌は……?」

「あ、亡くなったおっかあがよく口ずさんでおりやして」

直虎は思い切り横っ面をはられた気がした。

「歌など、なんの証しにもなりませぬ」

政次はそう言うけれども、高瀬の母親の前で愛笛「青葉(あおば)」を吹いている亀之丞の姿が、ありありと目に浮かんでしまったのだ。

「もうよいではないか。どこまで問いただしたところで確たる答えは出ぬであろうし……。あれは井伊のために直親がよこしてくれた忘れ形見じゃ」

そう笑ってみせる直虎を、政次は痛ましそうに見つめた。

 

 

寂しい夕まぐれ、直虎は1人、井戸端で気が抜けたように座っていた。

あのあと高瀬を部屋に呼び、まことの姫であったと告げた。

安堵のあまり、高瀬は涙腺が緩んでしまったらしい。こらえようとしても涙が止まらない。

「も、申し訳ございませぬ。おっかあは……直虎様にとっては、ひでぇことをしたのだとも知りやして……申し訳ねえに」

「そなたは直親の娘で、これからは、われの娘じゃ」

直虎がそう言って涙を拭ってやると、高瀬は身に余ることと、床に額をすりつけて平伏した。

正しいことをしたのだ、そう自分に言い聞かせるのだが、気持ちがついていかない。

これからは、われの娘じゃ、とは心から出た言葉ではない……。

ふと人の気配を感じて振り向くと、しのが立っている。

「あ、しの殿! 知らせは聞かれたか」

直虎はパッと明るい顔をつくった。

「先ほど……」

直虎が高瀬を直親の娘と認めたと、祐椿尼が新野の屋敷まで伝えに来た。ついてはお披露目の席を設けるので、皆様にもお越しくださるように、と。

「まぁ、そういうことでな、井伊はめでたくもう一人、姫を得ることになったのじゃ。披露目の席で改めて引き合わせたいゆえ、ぜひ、虎松もお連れくだされ」

から元気を装っているのが見え見えだ。何がめでたく、だか。様子を見に来てみれば、案の定、がっくりとうなだれていたくせに。

だが、そんな直虎をあざ笑うような気持ちは、不思議と消えうせていた。

「……お寂しかったのですよ。直虎様を忘れておられたわけではないと思いますよ」

いたわりのこもった、しのの声。意外な展開に驚きながらも、直虎は慌てて否定した。

「しの殿。この前も言うたが、われはさようなことはみじんも気にしては……」

「そうでなければ、お二人の絆に心悩ませ続けた私も浮かばれませぬ」

初めて胸の内をさらけ出したしのを前に、直虎は声をなくした。

夫の心のいちばん大事な場所にいるのは、出家した元許婚……そう気付いてからずっと、直親が死してもなお、しのは直虎を憎んだ。

共に暮らし、肌を合わせ、どれほど尽くしても、妻でありながら自分はしょせん、直虎の身代わりでしかない。朝な夕な、眠っている間も夢を見て、身もだえするほど嫉妬に苦しんだが、虎松をみごもって、やっと直親が自分を見てくれるようになった気がした。

けれども、やはり最後の最後まで、夫の心は直虎のものだった。しのは直虎を憎むことでしか、報われなかった自分を救うすべを知らなかった……今日までは。

「……では」

踵(きびす)を返したしのの背に、たまらず放った直虎の声が飛んできた。

「直親は戻ってきたときに、なんと言うたと思う!」

しのの足がピタッと止まる。

「われが出家をし、竜宮小僧になると言ったと聞き、はいつくばっても井伊に戻ろうと思った、と」

「……へぇ」

「熱を出したときも山中をさまよったときもわれの顔が浮かび、もう一度、生きておとわに会うのだと……俺が戻ってこられたのはおとわのおかげじゃと、そう言うたのじゃ! まるで夜も日も明けずわれのことを思うておったかのように!」

「どこぞの女子と戯れ、子までなしながら」

「そうじゃ! それだけではない! 一緒にはなれぬと告げたら、おとわの人生を奪ったと、そうも言いおった! しかも」

……先に行ってくれ。葬らねばならぬのは、俺の心だ。

「などと! 歯の浮きそうな言葉まで吐きおったのじゃ! 都合の悪いことは勝手に葬り去るくせに、ようも言うたものじゃ!」

「さようなことまで……」

聞いているしのも、だんだんむかむかしてきた。

「最後の最後など、なんと言うたと思う! われが男であったらよかったと言ったならば」

……それは困る。俺のたった1つの美しい思い出がなくなってしまう。

「ようもようも言うたものじゃ! のうなったのは、われの美しい思い出じや!!」

一気に怒りをぶちまけて荒い息を吐く直虎に、しのは少し考えてから言った。

「……実は私、ずっと感じてはおったのですが……直親様は、己が清(すが)しく見えることを明らかに知っておられ、そうして、それを自在に使っておられたのではないかと」

直虎は、はたと手を打った。

「しの殿も感じておられたか!」

「この際言うてしまいますが、私がやきもちを焼いたときなど、なんと言うておられたと思いますか」

「なんと言うておったのじゃ」思わず身を乗り出す。

「しのの怒る顔が見られてよかった。次郎様に会ったかいがあった」

「なんじゃあ、そりゃあ!!」

「虎松が生まれ、但馬が土地を戻したときなど、すべて、しのが虎松を産んでくれたおかげじゃ。俺はしのに井伊を捧げる、と」

「わ、われには、井伊の姫に捧げましょうと、そう言うておったぞ!」

2人は一時、目を見合わせた。

「なんという二枚舌……」

「二枚どころではない。きっと高瀬の母にも色よいことを言うておったに違いない!」

「三枚舌でございますか!」

「違いあるまい!」

「おのれ、スケコマシが」

しのが般若(はんにゃ)のことき面相で吐き捨てる。

「……スケコマシ?」

「スケコマシにございましょう。われらは共に見事にスケコマされたということにございましょう!」

すると何を思ったか、直虎はくるりと背を向け、井戸の縁をつかんで中に顔を突っ込んだ。

「卑怯者〜っ!」

直虎の絶叫が井戸の中でこだまする。

「先に逝ってしまいおって。これでは、これでは、恨み言の一つも言えぬではないか!」

初代・共保公が拾われたといわれる霊験あらたかな井戸なら、直親のいる冥界につながっていても不思議はない。

しのも直虎にならって、井戸の中に向かって叫ぶ。

「そうです! これではだまし討ちではございませぬか!」

「なんとか言え! このスケコマシが!」

けれども2人の罵倒がむなしく反響するばかりで、直親の声が返ってくるはずもない。

「……しかたがないから、育ててはやるわ。生きておりたかったと、大きゅうなるのを傍らで見ていたかったと、歯がみをするほど、よい女子に育ててやるから」

「首を洗って待っておられませ!」

直虎としのは顔を見合わせると、肩を抱き合い、わあわあ声を上げて泣きじゃくった。

そんな二人を優しく見守るように、橘の木が風にそよいでいた。

 

 

高瀬のお披露目の日がやって来た。

しのと涙が涸(か)れるまで大泣きしたせいか、直虎はすっかり落ち着きを取り戻していた。

「皆、もう知っておると思うが、直親の忘れ形見が井伊にやって来てくれた」

殿様然として、一同に姫装束の高瀬を紹介する。

主殿には、家老の政次、直之、六左衛門、方久たち重臣、そして南渓と、井伊家を支える面々が顔をそろえていた。一門の将来を担う虎松や亥之助、直久も緊張気味に参席している。

廊下には女たち……祐椿尼、なつ、あやめ・枯便・桜の三姉妹、そしてしのの姿もあった。

「改めて、高瀬という。皆にはもり立ててやってもらいたい」

「私のような者をお認めいただき、ありがとうございます。このうえは井伊のお家のために尽くしてまいりやすに、皆様よろしゅうお導きくださいませ」

教えたわけでもないのに、高瀬はきちんと挨拶をして直虎を感心させた。

「井伊に姫が増えた。かようにめでたいことはそうはない。今日は皆、存分に祝うてくれ!」

座が宴(うたげ)に移り、男たちが飲めや歌えやとにぎやかな中、高瀬と虎松が初めて顔を合わせた。

「虎松様、高瀬でございます。よろしくお願い申し上げます」

虎松は、もじもじと恥ずかしそうにうつむいている。

「虎松、姉様ですよ」

しのが水を向けても、黙ったままだ。

「これ、虎松。きちんと返事をせよ」

直虎が軽く叱りつけた。

またぞろ、しのが怒りだすのでは。そばにいたあやめは肝を冷やしたのだが……。

「虎松、殿のおっしゃるとおりに」

どんな心境の変化か、しのは態度を一変させ、あまつさえ直虎にほほえみかけている。

虎松と高瀬を囲み、和やかに話をしている直虎としの。未来永劫(みらいえいごう)ありえないと思っていた光景を目の当たりにして、政次も狐につままれたような心持ちだ。

「別の敵が現れて、敵どうし、手を結んだのかもしれませぬ」

なつがそんなことを言うので、ふと『三国志』の故事が浮かぶ。

「死せる直親、生ける二人を結ばせるか……」

「大層な策士でいらっしゃいます」

なつは、ふふっと楽しそうに笑った。

 

 

読み書きのできない高瀬もまた、虎松たちと共に龍潭寺で手習いを教わることになった。

少年たちはピシッと背筋を伸ばし、昊天の指導を受けている。その成長ぶりに直虎が目を細めていると、南渓が言った。

「おお、そうじゃ。この間、高瀬に井戸の赤子の謎を聞いてみたらの……」

直虎たちが幼い頃にもやった、なぜ井戸の中の赤子が助かったのかという、あの問答だ。

「……こ初代様は河三郎(かわさぶろう)だったのではねえかいや?」

高瀬はしばし考えてから、そう答えたという。

「おらのおった里には、河三郎という妖(あやかし)がおりやして。人に化けて、まーずいろいろないたずらをするに。河三郎ならば、水ん中でも息はできるだず」

直虎は声を立てて笑った。

「まことに、高瀬はそんな答えをしたのですか」

井戸の子は竜宮小僧だったのではないかと答えた、かつての自分とそっくりではないか。

「……これは偶然ではないかもしれぬぞ」

意味が分からずきょとんとしている直虎に、南渓はやけに真面目な顔で言った。

「ユキというのは、どこかおぬしに似ておったのかもしれぬな」

「高瀬の母者(ははじゃ)が、私に?」

「そういうことだったのかもしれぬ」

南渓はこう言っているのだ。亀之丞は、ユキという女子にとわの面影を見つけ、二度と会えないかもしれぬとわを、ユキの中に求めたのだと……。

直虎は、どこか自分に似ている気もする、快活で明るい高瀬の笑顔を見やった。

……さすれば、高瀬は間違いなく、われの娘だ。

「……もう、嫌になりまする。直親の舌は、一体何枚あるのでしょうか」

涙をこらえてぼやく直虎を、南渓が笑う。

そんな二人の背後に、ふらりと人影が立った。気付いた南渓が振り返り、まるで幽霊でも見たような顔になる。

南渓に袖を引っ張られ、後ろを振り向いた直虎は、あっと息をのんだ。

「忙しゅうしておりまして、お待たせしてしまいました」

無愛想な山伏……常慶が立っていた。高瀬の騒動ですっかり忘れていたが、南渓があちこちに残した言づてをどこかで耳にし、やっと今になって井伊に現れたものらしい。

話をするため、連れ立って去っていく3人の後ろ姿を、なぜか高瀬が見つめていた。

直虎が常慶と顔を合わせるのは、直親の件で合力を頼むため三河に行ったとき以来である。

「その節は、お役に立てず……」

「それはもうよい。それより……武田はどういう勝算のうえで、今川切りに踏み切ったのじゃ」

「この一連の動きを陰で操るは、織田にございます」

織田……? 直虎と南渓は顔を見合わせた。

「今川との同盟を破れば、確かに南に敵を抱えることになります。しかし、織田と結べば、武田は西に味方を得ることになり、さらに松平を封じることができる」

松平は三河・遠江を押さえたあと、いずれは駿府に入ることが望みだ。が、南の海に出たい武田としては、それもおもしろくない。しかし織田と結べば、織田の盟友である松平は、武田を差し置いて好き勝手できなくなる。織田はそこにつけ込み、みずからの東の憂いを封じたというのだ。

「……まぁ、うまい絵を描く男じゃの」南渓が感心する。

「じき、明るみに出ましょうが、信玄公は幽閉されておる今川派のご嫡男を廃嫡。そして、四男・ 勝頼(かつより)様に織田より姫を迎えるそうです」

なんと……! 井伊を取り巻く大国の関係は、ますます混迷を深めそうだ。

常慶が去ったあと、直虎は小野の屋敷に使いを走らせ、政次を寺に呼び寄せた。

「……では、今川と松平が結ぶということはありえぬと」

碁を打ちながら、常慶から得た情報を細大漏らさず話して聞かせる。

「松平は、今は織田の臣下も同じじゃそうで、織田の意に逆らうようなことは何一つできぬそうじゃ。勢いというのは、一度失うと盛り返せぬものじゃな」

「瀬名殿に便りは託せたのか」

「今のわれは当主ゆえ、もし常慶がどこかで命を落とし、便りが今川の手に渡れば面倒なことになると断られた。……窮屈じゃの、当主というのは」

「いつでも、降りられてもかまいませぬぞ」

「……ばかを言え」

政次が「ごめん」と最後の一手を決める。

「あ〜!」

子どものように悔しがる直虎を見て、政次はふっと目尻を下げて笑った。

 

 

こうして直虎が当主となったその年は暮れ、明けて正月……。

「今年も変わらず、太守様のこ庇護(ひご)を頂きとうこざいまする」

政次は例年どおり、氏真に新年の挨拶に伺候(しこう)した。

「井伊に武田より先代の娘を名乗る女子が来たらしいではないか」

いつもながら、関口の早耳には舌を巻く。

「いずれは、よきご縁なども頂ければと存じます」

「縁なぞ当てにならぬぞ。結んだところで、反故にされれば終わりじゃ」

氏真が吐き捨てるように言う。

「何か、ございましたか?」

「しらじらしい。とっくに耳に入っておろう」

「太守様のお言葉を得るまでは、安易には信じまいと決めておりました」

「……但馬、わしは武田を海には決して出さぬ。わしの年賀の誓いじゃ、心しておけ」

政次は「は」と平伏した。どうなっていくものか……井伊のような小国は機を見誤らないよう判断を過たないよう、常に目を見開き、寝ている間も神経をとがらせているしかない。

 

松の内が明けてまもないある日、甚兵衛が織り上がった綿布を持って井伊の館にやって来た。

「おお〜。よいではないか」

「はい。直虎様に新年にお見せするんじゃと、女子どもらが張り切りましてのお」

と、庭先に現れた方久を見つけ、「方久殿、よいところに」と六左衛門が手招きする。

「綿布の見本が出来上がっての。どうじゃ、よい出来であろう?」

直虎が綿布を見せるも、方久はどんよりとして、いつものうっとうしいくらいの覇気がない。

「……これを駿府で商うことなどはできるか」

「駿府などくそ食らえにございますよ。あんなものは、ドーンのパーンのボーンにございます! あのような商いをしておっては、いずれ先細りします!」

駿府と聞いたとたん、方久は頭をかきむしってわめき始めた。

「な、何かあったのでございまするか?」六左衛門が目を丸くする。

「つまるところ、古くからの出入りの商人に利することしか考えぬ! あんなやり方をしておっては、若く熱い銭はザーのプイーのフーンでございます!」

もうじき完成というところまで来て、種子島を古参の商人に引き継がせると言われたらしい。要は、金のなる木を奪われてしまったのだ。

「とにかく、駿府はようないということか」

「気賀に参りましょう。あちらは熱い銭の香りがいたします。気質、気賀……これからは気賀の時代にございます!」

方久の勢いに押され、明くる日、直虎たちは商いのつてを求めて気賀にやって来た。

ここは浜名湖の北側を迂回する本坂通(ほんざかどおり)というにぎやかな街道にあり、駿府とはまた違った活気にあふれている。

「確か、気賀は今川より格別に許され、侍の領主を載かぬと聞いたが」

さまざまな人や物でごった返す通りを歩きながら、六左衛門が言った。

「はい。ここは今川領でありますが、治めるのは武家ではなく商人でございます」

「ずいぶんと栄えておるの」

直虎たちが話しながら通り過ぎた一軒の店から、腰に水筒をぶら下げた男が出てきた。

「頭、助かったよぉ。また頼むよ」

「おうよ」

店のおかみに「頭」と呼ばれたのは、牢から逃げ出した、盗賊団の男である!

互いに気付かないまま、直虎と男は逆の方向に去っていく。しかし、運命は再び二人を引き寄せようとしていた。

 

 

(第21回「ぬしの名は」に続く)

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2.他の放送回へのリンク集

 

 

3.登場人物紹介及び人物相関図

 

この大河ドラマのblogを運営をしていて、思いの外、登場人物紹介や人物相関図の記事へのアクセスが多いので、全ての記事にリンクを配置することにしました。

今回の記事はここまでです。

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